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杜氏 葛巻
文夫
| 職歴 |
杜氏歴34年 |
| 当蔵での実績 |
全国新酒鑑評会'01'03'04'05金賞受賞 |
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南部杜氏自醸清酒鑑評会
平成18年度首席、平成16年度第3位 |
平成11年から香の泉の杜氏として毎年岩手から遥々お酒造りに来られています。
お酒造りに関しては妥協を許さない正に“職人”なおやっさんです。
ひとこと
私は東北生まれです。関西で一度酒を造りたかった。
皆様に好まれる酒を作りたい。 |
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阿部
要治(担当:麹・般頭)
先代の杜氏多田進さんの頃から香の泉の蔵人としてお酒造りに携わって来た香の泉の蔵の中を知り尽くした人です。物静かなおやっさんの右腕的存在の方です。
ひとこと
一人の蔵人として「人に優しく、仕事にきびしく」
失敗は許されない、そして美味しいお酒が出来上がることが一番です。 |
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千葉 心一 (担当:もろみ)
今年から香の泉の蔵人として来られたこの道30年の大ベテラン。
その腕は確かで、繊細なもろみ管理の腕も抜群です。 |
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及川 正見 (担当 もと)
千葉さんと長年コンビを組んで色々な蔵を回ってこられたベテランの蔵人さん。
今年から千葉さんと共に香の泉に来られました。 |
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菅原 厚司(担当:釜)
香の泉2年目の注目の若手さん。仕事の手も早くいつもテキパキ仕事をされていま
す。他の蔵人からすると息子的な存在の蔵人です。 |
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下坂 ナヰ (担当 賄い)
今年から蔵の賄いとして香の泉に来られました。以前は会社勤めをされていて、定年してから賄いの仕事を始められたそうです。賄い暦7年、当蔵で4蔵目だそうです。 |
| 南部杜氏とは? |
全国規模の経済が形づくられ、商業が飛躍的に発展した江戸時代、東北で採れる良質な砂金に魅かれて遠方よりはるばる南部まで足をのばした人々がいた。近江(おうみ){現在の滋賀県}商人と呼ばれる一団である。のちに南部杜氏の里として花開く地にその種を播いたのは、1662(寛文2)年ごろ盛岡に足を踏み入れた近江商人・小野権兵衛(おのごんべえ)だと伝えられる。
権兵衛は、すでに近江商人の先駆けとして盛岡に定住していた村井新兵衛(むらいしんべえ)宅に寄宿、盛岡周辺の村々を志和(しわ){現在の紫波町(しわちょう)}近辺まで行商に歩く。都の質流れの古着や木綿などを商い、代わりに砂金、紅花、生糸などを江戸や上方に送っては利益をあげた。やがて村井新兵衛の親類分となり「小野」から「村井」へと改姓、志和に土蔵を建てて商売の本拠とし、「近江屋」と称する造り酒屋(質屋を兼業)を開業した。大阪から杜氏を招いて1678(延宝6)年秋に売り出した新酒は、当時としては珍しい澄(す)み酒(清酒)。濁(にご)り酒の味しか知らなかった南部の人たちは、関西流の仕込み酒にさぞかし目をみはり、美酒に酔ったことだろう。
近江屋は大いに繁盛した。現在の紫波・稗貫(ひえぬき)一帯にいくつかの分家(出店)を持つに至ると、みずからの蔵で造る酒だけでは足りず、不足分を付近の農家に委託して造らせるようになった。農閉期の副業として下請け的な酒造りを担った農家を「引酒屋(ひきざかや)」と呼ぶが、何軒もの農家から酒を引き取る近江屋では、その酒質を揃えるために、上方から招いた専属杜氏に引酒屋を巡回指導させたようだ。こうして、澄み酒醸造技術が紫波・稗貫の近江屋周辺の農村に普及した。
雪深く寒冷な北上盆地の自然条件は、住む人々におのずから冬季農閑期の利用法を模索させた。上方や江戸の酒造りの流儀に触れた南部の人々は、年月とともにそれを南部流として我が物とする。 |